ヒロシマ・ナガサキ「原爆と人間」写真パネル展開催

2020年09月02日


    ―「被害」と「加害」の戦争から平和を考える― 



 8月15,16日の2日間、板橋区の成増アートギャラリーで、板橋わいわい祭り実行委員会主催で、ヒロシマ・ナガサキ「原爆と人間」写真パネル展を開催した。

 1945年8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下されて75年がたつが、日本は国連の核兵器禁止条約に反対の立場をとっている。世界の44か国が批准しているこの条約に、被爆国である日本が賛成していない。

 また、7月29日、広島地裁が、「黒い雨」を浴びたにもかかわらず国の援護対象から外された原告84人を被爆者と認め、原告全員に被爆者手帳の交付を命じる判決を下したのに対し、国はこの判決を受け入れず、控訴する暴挙に出ている。

 再び、三度原爆を許すまじ!その思いを強く持って日本原水爆被害者団体協議会によって制作された30枚の写真パネル。その最後は「17歳のあなたへ」と掲げられ、「......私が被爆者運動を続けているのは、『再び被爆者をつくるな』という願いからです。あの"地獄"に遭わせたくないから、あの悪魔の兵器がある限り、私は目を閉じられないのです......」と綴られている。

 忘れてはいけない戦争を、平和を希求する運動をと、8月に写真展を開催する意義は大きい。会場には「原爆と人間」の写真パネルだけでなく、東京大空襲の写真パネル、そして、戦争を許さない北・板橋・豊島おんなたちの会(KITの会)により、「何があった?―日本が戦争をしていた時代―」と題して、中国侵略、朝鮮侵略、台湾支配の時代の写真パネルも展示されていた。東京大空襲や原爆投下という「被害の戦争」だけでなく、日本が戦争で何をしたのかという「加害の戦争」、その両方を理解することが大事だという声もたくさんあった。2日間、1枚1枚のパネルを真剣に見、熱心に読む多くの方々の姿があった。

 会場内では、長崎出身で板橋区内に住む池田さんがお話した。当時は大村に住んでいたという池田さん。長崎市内の学校に通った頃は、体内被曝の子どもたちがいて、体力もおちているため、「被爆学級」がつくられていた。当時はみんな大衆浴場に行っていたが、そこで見た原爆後遺症のケロイドの体が忘れられない記憶だと語っておられた。長崎生まれであることもあり、「三度許すな原爆を!」と訴えていきたいと、今回のパネル展を知り、ぜひボランティア参加したいと連絡をくださったそうだ。

 また、学校と地域をむすぶ板橋の会の高井さんは、丸木位里・俊さんの「原爆の図」をもとにアーサー・ビナードさんが制作した紙芝居「ちっちゃいこえ」を読んでくれた。細胞レベルでじりじりと命をむしばんでいく放射能の影響を、細胞の声として紙芝居で表現したというアーサー・ビナードさん。「からだのなかのちっちゃいこえ」が聞こえたら、そこからあなたは生きていけると訴えられた。また、東京大空襲で動物園が破壊され、動物たちが逃げ出すのを恐れたために殺された「かわいそうなぞう」の紙芝居も演じられた。

 向かいに区立図書館があることもあり、小さな子どもを連れて見ているお母さんや家族も多くみられた。「これなんて書いてあるの?」と子どもに聞かれ、パネルを読んであげるお父さんの姿も。今や教科書にも歴史の事実さえ正しく載せられない中で、貴重な写真もたくさんあった。「絶対戦争はしてはいけないと思いました」と話す小学4年生の女の子。

「満州の写真は自分が思っていたよりもずっと残虐で驚いてしまいましたが、日本が起こした事実としてしっかりと受け止める責任があると思いました」と語る高校3年生の女生徒。近くのデイサービスの方々も入場され、「絶対手をはなすな!と言われて手を引かれながら逃げたんだ」と東京大空襲の時のことを話していた。「毎年続けてほしい企画です」「こういう機会をいただきありがとうございました」などの声も多かったパネル展だった。

 わいわい祭り実行委員会では、10月3日(土)と4日(日)には同じ会場で、「辺野古・大浦湾、命を守る写真展」を開催する。辺野古の海で抗議を続けるカヌーチームらが撮影した写真90点を展示し、辺野古基地問題を一緒に考えようという企画だ。ぜひ多くの方のご来場をお待ちしています!

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